穀雨の初候
退院して、自宅リハビリ。田植えを迎える頃になったなあ。
◆自己管理◆
ジム:0回(通年:71回 61.2%)
禁酒:5回(通年:92回 79.3%)
自室での運動機器を揃えているところ。有酸素運動ができるのは5月半ば。しばらくは「しのぐ」形かな。
◆仕事◆
◆家族◆
◆趣味・娯楽◆
◆資産◆
◆その他◆
フレーミングの強固さ
昔の水泳仲間。
こないだのブログだと「目眩がするから」と更年期の薬を飲んだというけど、10年前から更年期って続くんだろうか。どちらかというと血圧を確認したほうがいいと思うけど、体型的にも。会ってないけど。
そして、本日の彼女のブログを読んでも、「既存の採用されたフレーミングの強さ」を確認させられる。
理性では「これじゃあ駄目だな」と思ってもゼロベースで見直すには強烈なきっかけが必要になる。
大抵は体調崩して医者の宣告で…とかなんだろうけど。
RSS登録してあるんで、惰性的に見ちゃうんだけど、まあ、1分未満だしね。
「とらわれない」ようにしようと思って行動してきたけど、自分が気になるところメインだったから気にしてないこととか見ないようにしてること(不快だから)がすごく「とらわれている」ことに気づいた入院生活だったかな。
退屈さの重要性
療養生活の最大の収穫は。
「退屈さを旨とする」かな。
突き抜けた面白さ・喜びにたまに触れられるのを僥倖と思えればいいのかもね。
サイドエフェクト、か。
然り。
そういう意味で言うと、「ああ、今日も楽しかった。明日も楽しみだ」と生き生き過ごしている人もいるんだろう。トータルバランス
俺は「ひどく退屈ではない1日だった。また、明日」ということが多いかな。
原因は世の中で提供される「楽しいこと」が楽しくないから、ミスマッチなんだと思う。
モニタリングということを療養生活の中で基礎データを得た(ように思う)。結果のモニタリング、認識モデル
ただ、全部、自分でする必要はなくて外部の機関(医者とかの専門家)に任せる部分も含めて成立するものなんじゃないかと思った。
「トータルバランス」とはかつて、釣りを教えてくれた人のキー概念であったけど、その人は「勝つために」トータルバランスを採用してたから、それぞれの要素を最高レベルまで高めて、そのバランスで勝つ続けてたんだろう。
俺のトータルバランスは諸要素のデコボコをならして生活をコスパよく最適化するということなので難しくない(はず)。
まあ、できるかどうかはモニタリングし続けて判断するしかないかな。
認識。
望んだ結果が出てないということはよほど足を引っ張る要素がない限り、「自分の認識モデルが歪んでいる」というふうに思ったほうがいいんだろうな。
だから、「結果をバロメーターにする」べきかな。
結果がすべてではないだろうけど。
大量生産モデルとリンゴ
CM見てて。信念と長寿命化
大量生産の工業製品は、職人のこだわりは代替できない。
制約条件の中で最大公約数を上げる作業しかできないんじゃないかな。
Appleは大量生産の工業製品をムーアの法則をベースにソフトウェアの力で上手に「盛った」んだなと気づいた。
尊敬する経済評論家が人生100年を前提に資産運用等のムックを出版。
しかし、100年続く前提だと、「無茶するな(怪我、病気になりそうなことは避けろ)」となりはしないだろうか。
信念。
メリットとしては群を抜くような強さを発揮できることかな。
デメリットとしては「認知的不協和」を起こしたときに簡単に修正しづらいということか。
人生100年だと強調するのであれば、信念はある程度、簡単に改編できるようにしといた方がいいのかもしれない。
思い込みを修正しないのは危険だなという例を直接、間接に知った。
哲学書の効用
RT官僚の優秀さ、その汎用性に疑問
頭をこのレベルまで使えるようになりたかった。
RT