家に寄った。子どもの頃の記憶も遠くなったな。
で、エントリタイトル。したいことを分かってもらう
ということは贅沢なことだと思います。
少なくとも、拙者自身は永遠にあきらめています。
そういった分かり合えなさを前提に、営まれているのが
近代以降の社会だというのが思想史の整理ではないか。
先人が自分の限界まで積み上げたことは、自分がうだうだ
考えることよりはるか先まで行っているんじゃないか。
そういう意識のない人の天下国家(あるいは身近な話題を離れた
話)を聴くのは超絶した忍耐力がいります。
そんな我慢強いほうじゃないんだよ(-_-;)
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