◆入院生活その2◆
救急車で運び込まれたときから見ると、荷重制限は相変わらずあれど、それ以外はほぼ以前通り。痩せたので前より健康度が上がったかも。
ハリウッドスターが問題起こすと、入院するとか、某歴史学者が「入院して数十年ぶりに落ち着いて物事を考えることができた(大意)」と後書きで書いていたのを思い出しました。
入院生活は「自分のことに没入していい」。社会生活を営んでいると自分の役割(職業人、父親、夫など)を考えて時間配分して対応しますが、外出・面会禁止で外部からの接触がなく尚更没入可能に。ストレスもなく、したいことに集中し、夜は(リハビリ疲れで)よく眠れる。規則的な生活が好きな私には向いてるなあ、と。禁酒も当たり前だけど、1ヶ月以上続いてるし。これがよりホテルチックなサービスがあると「この環境から抜け出さなければ」という気持ちが生まれづらいかもしれません。
旅行は大抵の日本人は日や週単位。入院は月単位で没入できる時間が作れる。海外留学すれば年単位の時間があるにしても論文仕上げるとかで「目的不明な自由な時間」というのはほとんどないと思います。
まあ、こんなある種の戯言が言えるのは、仕事を休んでいてもサラリーマンで給与保証があることと、社会保障が手厚い国だからだというのは認識しています。
◆環境を変えること◆
大抵の人は「自分が救急車で運ばれて数ヶ月入院するかも」という想定と各種の準備はしないもんじゃないでしょうか。私は交通事故への備えはしてましたけど、入院は考えてませんでした。そういう意味では、軽症だったのもあり、強制的な環境変化は新しいフレーミングを得ることになりました。
すなわち「老いと病気」を擬似的に体験することです。言い換えれば、現在の日常生活が維持できない状態になるというのはどういうことかということです。「自由」が大幅に減退して、認識を再構築するプロセスが必要でした。
大抵の人は大学院で勉強するとか、転職するとか自分の人生をプラスにするために自発的に「環境を変える」のかなと思います。そうじゃない環境の変化というのを40歳を超えた現在では備えた方が無難だなという感想です。これからの人生であり得るイベントを想定して備えておく必要があるかな(社会、仕事、家族、その他)。
◆復帰する日常生活◆
ここ数年の日常生活に「胸の踊るような変化がない、飽き気味」だと感じていて、復帰してもそれは変わらないと思います。
ただ、ケガして分かるのはその飽き気味の日常が大事だし、帰る場所なんだなと思います。いずれ、帰れなくなる日が来るまではそこが帰還場所なのはありがたいことだと入院生活の経験で一番感じたことかな。
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