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2011年8月28日日曜日

上位者のお遊び

今日のスイエー大会サボっちゃった。
そこで出会う1日の内容が、残念ながら
今、興味がないんだな。

直近エントリで書きましたが、秀才くんは
結論の変わらない議論より、プロセスしだいで
結論に修正の加えられる議論が好きなんでしょうね。
今日は、そのいくつかに触れることができました。

残念ながら、自分でそのレベルに到達することは、
一生ないなーと思います。

うらやましいと思いつつも、ここまで到達した見方
ができて、現実があさっての方向なのは無力感が
大なんじゃないのと思ったり。

というわけでエントリタイトル。すげーし、敬意を覚える。
あるいは、彼らは真剣なのかもしれない。
でも、もったいないね。「お遊び」にしかみえないんだよ。

だって、現実を動かす熱を感じないんだもの。
約束された名誉は、彼らの行為のなかにないんだな。


2011年8月25日木曜日

ややぜいたくな悩み

仕事に余裕はあるが、ちょっと趣味の方がコントロールできてない。
気が多すぎるんだよなぁ…。

目標は設定してあるけど、ちょっとテンポをゆっくりとって、
進んでいこうか(^^ゞ



2011年8月21日日曜日

ゴリと音楽

いつもは高速道路で運転するような日常とか休日の過ごし方
でないとイライラするんだけど、たまには日中、温泉入って、
オババ(オバさん)がたの雑談を片耳にのんびり過ごすのも
いいもんだ。海は気持ちがおおらかになっていいよ。

地元つながりのブログを読んでてふと思いだしのが、
小学生の頃、「ゴリ」というあだなの男子がいました。
見た目、ゴリラ(細めの)なんで、そのあだ名だったんですが。

でも、なぜか自分から担任に申し出て合唱部に所属してました。
男子唯一。で、バスケ部も兼部してたな〜。

その後、噂はいろいろあって信ぴょう性にかけるんで、紹介しないけど、
本当にふと回路がつながって思い出しました。

映画のリトル・ダンサーをやや想起する思い出でした。
そういえば、3D映画はバカにしてたけど、迫力ありました。
時代は変わるもんだ。でも、みんなで3D眼鏡かけてるの
funnyだけどね(;・∀・)

2011年8月18日木曜日

シンプルでストロングなストーリー

ライ○ハックの記事読んで、うんざりするのは
アナロジックな言葉で、モデルっぽく記述されてるけど、
ただの印象論なだけで、その折々の印象がいくつも
いくつも出てくるだけなんだよなー。議論に値する、シンプル
なモデルを構築する気がないんだ。
 
脳科学の啓蒙書を読んでると、いかに人間が自分の
脳の機能に適したかたちで認知処理してるのかというのが
了解できます。

断片から物語を生成するのが得意であれば、エントリタイトル
みたいなのは圧倒的に大多数に受け入れられることでしょう。
売れ線のフィクション(小説や映画やetc)は、だいたい「ハマる」
要素を備えている。

大勢の人を相手にするのにはエントリタイトルは必須です。
でも、今のオレが観たいのはそれ以外の演出の仕方で心をつかむ
ことなんだよなー。昔とは変わったもんだ。

2011年8月16日火曜日

ひとつであることか、複数であることか

夏は仕事に関して言えば、暑いだけ。
仕事中は、もう秋でもいいよ。
 
 
 
 ちょうどその時ミュンヘンに住む先輩が夜のコンサートが始まる前に電話をくれて、

ミュンヘンの夕陽と、電話越しに聴こえるヨーロッパの夜の鐘の音に

胸の奥がぎゅっとしました。
がんばろう。そういえばミュンヘンの鐘の音程とバーゼルの鐘の音程は一緒だったなぁ。

ヨーロッパの鐘の音程は共通なのかな?


RSSリーダーに登録してるヨーロッパ修行中の若手音楽家のブログより。

読んでて、浮かんでくる感情に名前がつけられません。
10〜20代前半であれば、うらやましさとかそういった気持ち
なんでしょうが、特になんの才能があったわけでもないということに
納得した身で30代半ばであれば。

彼女のようにひとつの専門分野をもつこと、それを通じて社会や世界と
関わっていくことというのは、一つの美しさであると思います。

一方で、ひとつの分野をもたないで、あれもこれもと(趣味的に)いろいろ楽しむ
生き方もあるんだろうと思います。

拙者は圧倒的に後者です。いろいろ楽しいけど、でも、ヨーロッパの夜の鐘の音を
こう美しくとらえることはできないなぁ(苦笑)


2011年8月14日日曜日

プレゼント雑感

今日は、太平洋高気圧ががんばってた。
夕立は、久しぶりでちょっと平時の夏の香り
がした。

来月、父上のお誕生日があります。
兄弟(義妹含む)でプレゼントを予定してますが、
今のところ、無線LAN対応したカメラにしよっかなー
と思ってます。

一緒にいって「欲しいのどうぞ☆」じゃなくて、サプライズに
するので、喜んでもらえて(プレゼントされること自体がうれしい
でしょうけど)、長く父上の生活に花を添える使われ方をしても
らえると、息子2人もうれしい。

プレゼントをするとき一番気をつけるのは、「プレゼント相手の
<今>への配慮」かなと思ったり。

昨年、母上にプレゼントしたときは、それまでの会話の中で
「ケータイで写真を撮る」ことを楽しみにしているようでしたので、
カメラかケータイ。

で、カメラの仕組みを多少理解してると、ケータイで撮る画像というのは、
画素数はさておき、映像素子は超ちゃっちいのが分かります。値段的にも
ケータイに4万ちょい払うなら、その倍くらいの機能のカメラをプレゼント
できる。

で、最終的にはらくらくホンをプレゼントしました。母上がケータイとカメラを
2台持ちして外出するのは彼女の生活として、ほぼありえないので。

結果としては、普段の生活に便利に使ってもらってて、プレゼントした立場と
しては、冥利に尽きます。義妹が毎日、孫の写真・動画をケータイに送って
くれてるのもあって、大分、喜んでもらえたのではと思われ。

で、父上のプレゼントとしては、コンパクトデジカメかミラーレス一眼がというとこで。

今のとこ、雑誌・ネットで下調べは、ほぼし尽くしたので、あとはカメラを扱う量販店の
スタッフと雑談がてら相談して決めようと思います。
もう、10年近く変わらない結論としては、「社会は分業で成立している」。知らないことを
教えてもらって、自分の経験に加えさせてもらう機会を今回のプレゼント準備でもらえたなー
ということでしょっかね(^o^)

2011年8月13日土曜日

することリスト雑感3

だから、to-doリストを作るってのは「重要なするべきことを忘れない
ようにする」という使い方がベストパフォーマンスなんでしょうね。
人間の認知構造で、陥りやすい罠(どうでもいい雑事に没頭して、重要なことを
し忘れたとか)を回避するためと言い換えてもいい。

マニアックにやりこんで、効用が上がるかもしれないけど、客観的には
費用対効果が上がらないと思います。

一個一個のタスクの積み上げ(ボトムアップ)で、総時間を見積もるよりは
経験を積んだ人間にはトップダウンで「トータルこのくらい」って判断できる
(あるいは、できるように区分けする)ってのが人間の脳に与えられた機能です。

というわけでto-doリストをクラウドでするなら、メモ帳を使ったほうが、
手の込んだサービスより、よっぽど使い勝手がいいというのが拙
使い方です。それに雑用は少ないほうが快適だしね。




することリスト雑感2

<することの制約条件>

することは、手持ちの時間という制約条件があります。手持ち時間次第で
いつかやりたいは「永遠にしない(することをあきらめたほうが効用が高い)」ことで
処理されることもしばしばあると思います。一応、目安は80年だろうから。
いつか北極に行きたいと思ってるんですが、実現しない可能性が高い。
そして、制約条件は家族や仕事の都合で見込みより多くなったり少なくなったりする。

<することの時間軸>
すぐやる〜いつかやる(短期~長期~超長期)まで、することは
莫大にある。

<することの重要性>
しめきりは来年だか、絶対しなきゃいけない(しない選択肢はない)〜いつかやれれば
いいまである。

もうちょい細かく上げればあるんだろうけど、言いたいことはなにかというと、従来、「緊急性と
重要性の四象限」ですることをリスト化しろってことですが、制約条件が変われば、その都度
組み合わせが変わるってことです。
そのたびにネットサービスで登録したto-doを「このto-doの重要性を高くしよう、これは、締切を
伸ばそう」とか一個一個のすることを見直して、各フラグに修正をかけるのは、とてもお暇な人か
そうしないと不安でしょうがない人にしかおすすめできない。







することリスト雑感1

夏の幕切れが近いことを感じる。
考えてみると、学生の頃の長期休暇って1年の1/4くらい
あったんだよなー。ムダに過ごしてたなと、よく反省してますが。

ネットのクラウドサービスは便利なんでよく利用してます。
特にカレンダーは本当に便利。家族・友人の誕生日を1回登録すれば、
毎年繰り返し表示できます。イベントやすることをカテゴリ別に色分け
表示すれば(全く余計な登録作業はいりません)、スケジュールイメージが
鮮明に頭に浮かぶ。

しかし、「これができれば、便利なのにな…」という、お試しで使って
2日ぐらいでやめちゃうのがto-doリストのネットサービス。
趣味で仕事術みたいなのしてる人のコメント読んでると建前はこんなに便利
だけど、本音ベースでは模索してるってことで、やっぱ使いづらい。

なんで、使いづらいんだろうとしばし考えたんですが、結論としては
「<すること>には複数の属性があり、その属性を考慮しながら、すべてを
書きだしてリスト化するのは、人間の認知構造にそぐわないものである」
ってことです。

2011年8月11日木曜日

返事のない手紙

災害対応は落ち着いた。
あとは、2ヶ月穏やかに過ごしたいね。

かつて、哲学・思想というのは「敬して遠ざける」ものでした。
拙理解が、その積み重ねの初学レベルに対応できませんでしたゆえ。
かつての大学のサークルの部室でハイデガーが置いてあったのは
遠い昔だなー。

30歳過ぎて、入門書レベルの知識が身につくと、「面白れ〜!」と
思ったり。

経済学の議論に10年付き合ってます。
素人が見てる分には、結論に変わりはありません。一人あたりの生産性が
一国経済に大事よという点では。

哲学・思想は積み重ねで「結論」に若干の修正が加えられるのが、
秀才くんには面白いんでしょうね。

エントリタイトルはそこからの援用です。
結論が分かれば、逆算することは難しくないんじゃないかな。

もう1回

原点回帰ってわけじゃないけど、
かつて、胸に火をつけてくれた作品を
振り返ってみたいなーと、ふと思いました。

やっぱ人間らしい生活って大事だよ、うん。

2011年8月10日水曜日

成長するということ

今日は最終とりまとめに我が部署の成果品を提出する日。
そこで、完璧に見切りがついた。
来年、残る君ら3人じゃ、うちの部署が路頭に迷うわ。
というわけで筆頭はいやがる4年目の彼を推薦すること
になるなー。

今の部署は5年目ですが、そろっと自分の「成長曲線」
の傾きが平行に近くなってきたなーと思います。
問題解決にあたってゼロベースで調べる必要がなく、昔、苦労して
身につけたことを転がす(応用する)だけでほぼ95%の
問題が解決します。その分、今まで多くの問題解決を
こなしてきたんですけど。

前にも少し書きましたが、「聞き癖」はつけるとろくなことに
ならないという見本が上記の人たちです。
今日、問題が起きてから黙って1時間見てたけど、だれも
手助けしてくれないと、自分の頭でゼロから考えられないのね。

アンチョコみながら算数・数学の問題解いてるようなもんですね。
実力は全く身につきません。

せっかく、机上のお勉強じゃなくて、実践で身につけられるのに、
もったいないことです。

来年、ポジションをまかせられたら、しっかりこなしてちょうだいね!

2011年8月6日土曜日

say a little prayer

「サザエさんが放送される時間になると憂鬱に
なる(月曜日、仕事行きたくない)」という話をときどき
聞く。

変わってる人間なんで、比較できないけど、
仕事で悩んでいるときは、金曜の夜でも土曜でも
日曜でもいつでも仕事のことを考えているんで、いつでも
行きたくない。逆に悩んでいないときは、いつでも
ニュートラルに仕事に行ける。どっちがいいんだろうね。

どうでもいい前振りが長くなりましたが、今年も養護施設の
臨海学校のお手伝いをしてきました。手伝ったと言っても、
2回しか出られませんでしたが(-_-;)

毎年、入れ替わりがあるんだけど、6年目になると、ちっちゃかった
子も身長が175cmになって「もう少しで、ダンクシュート(バスケね)が
できる」と自慢されると「時間は立ったなー」と感慨深くなります。

子どもは成長して、どんどん未来が開けていきますね。

一方で、そんな小さい頃を知ってる子が高校3年生で、施設を卒業しちゃう
というと、深い感慨に襲われます。前の高校生たちは小さい頃を知らなかった
からね。

つきあいの長さなんでしょうが、「わたし、これで最後だよ」って言われると、
気の利いた言葉が出てきません。

マクロの経済状況というのは、立場の弱い人間に一番残酷に降りかかってくる
ものだと思います。日本社会の中で、将来の見通せるポジションを得て、健やかに
過ごしてほしいと切に願います。

夏はいろいろあるわ〜(;・∀・)




人造人間の勝利

しかし、スポーツクラブを転々とするなー。
職場近くのスポーツクラブはなんだかんだよかった
んだなと認識。支配人(2代目)がいい遺産を残して、
転勤してくれたんだね。

いろいろ抵抗してたんだけど、スマートフォンに切り替えました。
ドコモのスマートフォンといえば、だいたい想像がつくかと思います。

で、エントリタイトルに触れると、塩野先生の『キリスト教の勝利』に
大袈裟ですが倣って(単なるマネね)。
もう、決着はついてたよ。

リンゴ印のtouchを使っていました。細部までのつくりこみでいえば、
リンゴのほうが圧倒的に上です。指で画面を弾いたときの動作、
画面で表現されるコントラスト。人造人間(面倒くさいから注をつける
とgoogleのandroid)はなんだかんだ、見栄えという意味で作りは
妥協しなきゃいけません。

スタパさんの記事で「ピンチアウト(拡大)しても、フォントがギザギザに
ならない」って書いてありましたが、mac信者の気持ちが分かる感じです。

でも、もうandroidが勝ったよ。(母艦PCなしの)無線で全部更新できるしね。

というわけで2つ前で否定してたSNSもアカウント作っちゃいました。

今まで、ムダの極みだと思ってたことも歳を重ねると楽しくなることも
あるもんだなー。


2011年8月2日火曜日

ゲシュタルトの祈り

今日は地元の夏祭り。おっさんになったから、素直に
言わせてもらうと、参加して面白いと思ったことは一度も
ない。夏に手伝う養護施設の臨海学校で子どもが祭りを喜んでる
のを見て「祭りもいいもんだ」というぐらいだなー。

普段、趣味でしていることは99%職場で話題にならないもので
あり、話題にするべきでないのでしていません。

しかし、拙者が「ポピュラーサイエンス」として興味を
持っている分野でなぜか就業前の茶飲み話になる機会があり。

基本、不特定多数に発信している前提で書いているんで、これ以上
書けないけど、同じ本、DVDを鑑賞しても全然違う感想に至るんだなー
ということです。超常現象、興味もてないんだよ、永遠に。

かつて中学生のときの音楽の先生(女性で当時20代後半)が卒業文集に
よせて「ゲシュタルトの祈り」という詩を身近なエピソードに添えて紹介して
くれていました。

当時の無知蒙昧な頃の拙者の琴線に触れた詩でしたが、いろいろと経験を
重ねてきても基本路線はこれだなーというとこです。

※ゲシュタルト療法というものを百科事典の知識以上に知ろうとは全く
思っていません。出会いの中で琴線に触れたという趣旨で紹介しました。

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。