いろいろ口を挟みたくなるが、
ま、旧ソ連ほどじゃないところで
よしとしようか。
で、エントリタイトル。
かつての教育勅語では、「徳」を
実現するために、その細分類たる
「徳目」が書かれてたそーです。
教育勅語自体はいいこと書いてある
みたいなんだけど未見。
前のエントリとカブるけど、「一般から
特殊」という演繹はえらくエネルギーが
かかることです。徳目は、まさしく演繹。
各目が「一般的に正しい」という前提から
個別案件を解決しようとするから。
これは統治の方法としては失敗だと思います。
各個人によって受け取り方の温度差があるものは、
大きな強制力を発揮できないから。
「これやったら、免許剥奪になる」というのであれば、
強制力は働くけど、「受け取り方は人それぞれ」は
ダメ。そういう意味で、法律の判例に意味があるんだ
なと、法学部パンキョレベルの確認をさせてもらったわ。
社会全体の話を外れて、身近な話だと徳目は活きて
くるなーと思います。端的に「道徳」じゃなくて「倫理」
であれば、今までの世代の積み重ねとして受け取れる
から。
身近な議論を全体にすり替える話はワイドショーだけで
十分ですね。SNSは間違ったことを大声で言うのが正義
として通るみたいです。古代ローマ帝国の末期とどちらが
ひどいのかは、専門家か後代の歴史の教訓かで検証
してほしいですわ(・∀・)
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